仕事を、成長の糧と取るか、理不尽と取るか

「仕事を全部ぶん投げられて、自分だけがやらなければいけなくなったからしんどい」という話がありました。

ふむふむ、と伺っていたのですが「それ、ホント?」とも思いました。

最近の風潮として、本人がしんどいと思う仕事はすべて悪と捉えるような感じがあります。どう考えても、むちゃくちゃな仕事量や内容を与えているケースもあります。それは私も悪だと思います。

でも、本当にそれは悪?というケースも意外と多いのではないかと感じます。

役職や経験によって、今までにやったことがない仕事、これまでよりも高い質が求められる仕事、これまでよりも責任感がかかる仕事。こういったものも、混ぜ込まれているなぁ、と。

冒頭の話はまさにそうです。

学校で役職が上がったとします。
教諭から教務へ。今までは子どもたちを見ていた先生が職員を見るようになります。
教務から教頭へ。職員を見ていた教務は、対外的なことも見るようになります。外部的な役職も増えていきます。
そうすると新しい仕事だからわからない。
1人でやらなければいけないから苦しい。
上記のようなことがあり時間では帰りにくい。

新しく何かを身に付けるときには、必ずこのような壁があります。これを乗り越えて、自分自身のスキルとしていく。このように考えられると成長になりえます。

理不尽と捉えれば、やらされ仕事になり、途中で投げ出したり、他の人に頼んで、自分は外れたりします。

どっちを選んでもいいんだろうなぁ、と思います。
同じ人でも、状況や体調、頼んだ人によっては、成長にすべきことと理不尽にすることは思いますし。

私自身もありました。
パワハラを受けながら、到底1人では賄い切れない量の仕事を与えられたケースです。
1年続きました。
誰がどう見てもパワハラでしたし、仕事量もとんでもなかったです。その当時は、理不尽だと思いながら、仕事をしていました。
その上司は永遠に忘れません笑
翌年、その上司がいなくなり、よく耐えたね、と同僚から言われたくらいです。

それでも、よい意味で経験はしておいてよかったかなとも思います。逃げ出さなかったので、今から考えると成長になりました。

それでも限界いっぱいでした。超えてたらどうしたかな、と。多分、休むこともできませんでしたし、倒れていたのかなぁ、と。逃げられないと思っていたので。

このメルマガ自体が、クレームがつきそうな内容ではありますが、成長のために一定のしんどさがあるのは当たり前なのかなと思うのはおかしなことでしょうか?

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