中秋の名月の由来と変遷

2025年の中秋の名月は9月7日(日)です。
この「中秋の名月」は、旧暦8月15日の夜に見える月のことを指します。
これは「中秋節」または「十五夜」とも呼ばれ、現在の日本では「お月見」の風習として広く知られています。
【起源:中国・唐代の中秋節】
中秋の名月の起源は、中国にさかのぼります。
中国では、古代より月は収穫や再生の象徴とされ、祭祀の対象とされてきました。
特に唐代(618年〜907年)になると、貴族階級の間で「中秋節」が行事として整備され、旧暦8月15日に月を観賞する風習が宮廷行事として定着しました。
【日本への伝来と平安時代の観月】
中国の中秋節は、日本には平安時代初期(9世紀頃)に伝わったとされています。
当時の貴族文化の中で、「観月(かんげつ)」の風習として採用されました。
日本では中国のように月餅を食べる習慣は定着せず、代わりに和歌や管弦(音楽)を楽しむ宮廷遊びとして発展しました。
特に池のある庭で舟を浮かべ、水面に映る月を愛でる「舟遊び」が象徴的な観月のスタイルです。
『枕草子』や『源氏物語』には、中秋の月を題材にした場面が複数登場します。
【江戸時代の「芋名月」と民間への普及】
平安貴族の風習だった月見が、広く庶民に定着したのは江戸時代(17世紀〜)です。
特に農村部では、旧暦8月15日を「芋名月(いもめいげつ)」と呼び、サトイモの収穫を祝う行事と結びつきました。
この頃から、月に供え物をする習慣が形成されます。
・月見団子:収穫の感謝と豊作祈願
・里芋、栗、枝豆など:地域によって異なる農作物
・すすき:稲穂に似ており、魔除け・五穀豊穣の象徴
これらは仏教的な供養ではなく、神道的な「自然信仰」や「年中行事」の一環として根付いていきました。
【明治以降の暦と十五夜のずれ】
明治5年(1872年)、日本では太陽暦(グレゴリオ暦)が導入され、それまでの太陰太陽暦(旧暦)は廃止されました。
この影響で、中秋の名月は「旧暦8月15日」にあたる日として毎年変動するようになります。
そのため、「十五夜=満月」ではない年も多くあります。
たとえば2025年は中秋の名月が9月7日ですが、満月はその前日の9月6日(土)です。
これは月の公転周期(平均29.5日)が暦と完全には一致しないために起こります。
また、「十五夜」に対して旧暦9月13日の「十三夜(後の月)」もあり、日本独自の観月文化として知られています。
「十五夜だけを見るのは片月見」とされ、十三夜もセットで祝うのが礼儀とされた地域もあります。
【現代の中秋の名月】
現在の日本では、中秋の名月は鑑賞や家庭行事というより、季節の風物詩として定着しています。
特に学校行事や地域イベント、商業的なプロモーションの中で取り上げられることが多くなっています。
本来の「自然を観る」「収穫を感謝する」「共に月を仰ぐ」といった意味はやや薄れている面もありますが、秋の風情を味わう機会として、今も親しまれています。
また、天文学的な意味でも、中秋の頃の月は視直径が大きく、空の中ほどに位置するため、肉眼での観賞に適しているそうです。
特別な天体現象ではありませんが、気候・湿度・地理的条件が重なることで、「最も美しい月」と呼ばれるにふさわしい夜になることが多いです。