儲からなければ存続できない

「とりあえず時給1,000円くらいだから、それ掛ける時間がもらえたら大丈夫」
高校生と話をしていた時の会話に出てきました。

自分の時間を切り取って、何かをすることによって、時給1000円をもらう。
(実際に京都府の最低賃金は1,058円、10/1からは1,122円)
この感覚は間違いではありませんが、それだけなんだなとも思いました。

自分自身で何かを考え、それを実行し、誰かを喜ばせ、お金を頂戴する。
それは時給1,000円以上の価値が出ます。
もちろん原資となるものが必要でしょうし、責任のかかり方も変わります。
でも、それに見合った対価が出てくる可能性もあります。

そういった考えを持ってもよいのになーと。

学校は等質集団を育てることがベースになっています。
同じ知識を与え、テストを行い、その結果で優劣を判定する。
列に並び、同じように座り、同じ動きをすると評価され、違うをすると指導を受ける。
異質な発言や行動すれば淘汰されます。

キッチリしすぎると、上記に書いたようなことがそのまま進んでしまいます。
緩めすぎると、先生から指導されたり、そもそも何もさせてもらえなかったりします。

私、学校教員だったので、そういう場面をたくさん見てきましたし、体験もしてきました。

よかったのか、悪かったのか。
その時々での精一杯をしていましたから、後悔はありませんがもっと『違う考え方』を学んでおけばよかったという反省はあります。

冒頭にあげたお金の話ですと、お金をもらう立場だけではなく、お金を稼いでくる立場の学びも必要なんだろうな、と。

今している向陽高校での取組はそれに近いものです。
10/1から向陽高校では、文化祭を行います。初めて外部公開型でします。その中で、彼らが経営面まで考えたお店を出展します。

企画したことが、実際に行動にまで移せるのか。その中でどのようなエラーが出てきて、それをどのように解決していくのか。
今からちょっと楽しみです。

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