「大人になる」って、いつ決まるんだろう

ニュースで成人式の様子を見ました。
振袖やスーツ姿の若者たちが映り、20歳という区切りは分かりやすいなと思う一方で、この日から急に「大人」になるわけではないよな、という違和感も残りました。

その映像を見たあと、放課後等デイサービスでの職員と子どもとのある場面を思い出しました。

活動の切り替えのタイミングで、職員が声をかけようとした瞬間、
「今はいいです」
と、その子は静かに言いました。
強い口調でもなく、拒否する感じでもありません。
職員の顔を一瞬見て、少し間を取ってから、そう話しました。

その後、その子は自分のペースで作業を終え、何事もなかったように次の活動に戻っていきました。
だから何?というような、特別な出来事ではありません。
でも、その距離の取り方や判断の仕方は、年齢以上に大人びたものに感じられました。

成人式の映像と、その場面が、頭の中で重なりました。
スーツも振袖も着ていないけれど、
日常の中には、すでに「大人になる過程」のようなものが、確かにあるのだと思います。

別の場面で、保護者の方からこんな言葉を聞いたことがあります。
「わたしが死んだあとは、この子はどうなるんでしょうか」
いわゆる「親亡き後」の不安
です。
これは1人ではありません。
これまで何度も何度も聞いてきた言葉です。
将来の制度や支援の話というより、もっと切実で、もっと個人的な問いとして語られることが多い言葉です。

この言葉を聞くたびに思うのは、それは遠い未来だけの話ではなく、
「今日、この子はどんな一日を過ごしているのか」
という問いと、地続きなのではないか、ということです。

大人になることは、ある日を境に切り替わるものではありません。
成人式も、制度としての一つの区切りではありますが、実際には、日々の中での小さな判断や、距離の取り方、選び方の積み重ねなのだと思います。

放デイで見ているのは「自立」や「大人」を完成させる過程ではなく、その途中にある、揺れたり、立ち止まったりする時間です。

先を急がせるよりも、いまの一日を、どう過ごせているか。
その積み重ねの先にしか「大人になる」はないのかもしれません。

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